英語学習に最適の環境とは

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東洋経済に言語習得の記事があります。

ポーランドから親とともにアメリカ・ミズーリ州の片田舎に移り住んだ7歳半の男の子ジョゼフを研究した心理学者がいる。学校が始まった8月の終わりの時点で、彼の英語力は2歳程度だった。学校は、彼に通訳をつけることも、英語を話せない子どもたち向けの特別クラスを編成することもしなかった。

彼は同年代の子どもたちと同じ2年生のクラスに入れられた。ポーランド語を話せる子どもは1人もいなかったし、先生もポーランド語を話せなかった。彼への指導はすべて英語だった。時に「泳ぐか、沈むか」と呼ばれる方法だ。

しばらくジョゼフは「泳ごう」ともしていないように見えた。新しい学校に転入して数カ月、彼は「沈んだ」ままで、教室内でもしゃべることはほとんどなかった。けれども自分の身の回りで起こっていることへの注意は決して怠らず、先生が何を言っているのか、それを知る手掛かりをほかの子どもたちを観察することで得ようとした。

たとえば、先生がスペリングドリルを取り出すよう指示したとすると、ジョゼフは周りを見回し、ほかの子どもたちがスペリングドリルを取り出しているのを見て自分も同じものを取り出した。

彼の進歩は驚くほど速かった。11月の終わりには、校庭へ向かう間に次のような文章を話していた。「トニー、遊ばしてくれなければ、もう車、あげることしないよ」。完璧ではないが、言いたいことはトニーに伝わった。

アメリカに来てから11カ月、8歳半になったジョゼフの英語の使い方と理解力は、いまだポーランド訛(なま)りは消えないものの、生粋のアメリカ人の6~7歳に相当すると評価された。その1年後には同年代の子どもたちに追いつき、訛りもわずかに残る程度となった。

心理学者が次にジョゼフを調査したのは、彼が14歳になってからのことだった。この時点では彼の発音は生粋のアメリカ人である彼の仲間たちとも区別がつかなかった。それでも彼は相変わらず家ではポーランド語を話していた。彼の学校での成績にも同じような傾向が見られた。低学年では読書に苦労した点が見られたが、5年生以降、彼は平均かその少し上の成績を残している。

ジョゼフの通う学校には、ジョゼフが自分はその一員だと思えるようなポーランド系アメリカ人の集団もなければ、英語を話せない子どもたちの集団もなかった。彼は特殊な存在ではあったが、1人では集団は形成できない。そのため彼は自分自身を単なる〈子ども〉、〈2年生男子〉としてカテゴリー化し、その社会的カテゴリーでふさわしいとされる規範を取り入れた。英語を話すこともその規範の一つだった。

英語を話さないことや、英語を流暢に話さないことを許すような規範をもつ子どもたちの集団をつくってしまうと、子どもは英語を覚えられない。彼らを担当する教師が、文法上正しく訛りのない英語を話すだけでは不十分なのだ。

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